松島海岸から矢本へ向かう途中、バスから見えた荒れ地、壊れたままの家屋、斜めの電柱などを見ました。最近のニュース、新聞では殆どみない現実を目のあたりにして「8ヶ月以上も」経ったのに何故まだこんな状態なのか?と感じてしまう所に、認識の甘さがありました。改めて、まだ復興には現場に大きな力が必要なんだと思いました。
作業現場に着いて、被災した家屋の清掃、消毒と瓦礫の撤去を行いました。瓦礫の撤去時にここで人が生活していたとわかるようなものが出てくると、やりきれない気持ちになりました。しかし、感傷にひたるだけでは何にもならないので、荒地の草を掻き分けて、撤去物をひたすら探しました。長時間の作業ではありませんでしたが、少しでも復興に貢献できていればと思いました。
今回の我々の作業は、全体から見ると極めて僅かなものです。でも、小さな作業を積み重ねていけば、いつか終わるので今後も微力ながら支援活動を継続したいと考えています。
最近ではテレビでもさほど報道されておらず、そこそこ復旧が進んだのだろうなどと思っていましたが、実際に被災地に降りて現状を目の当たりにして愕然としました。
自分が想像していた光景とは異なり、倒壊しかけの家屋やガレキ・ゴミが散在し、まだまだ人が住めるような状態ではなかったのです。
いったいここで何人の方が悲しい思いをしたのか・・などと思うと胸が痛くなる思いでした。
被災直後はテレビでは「どこそこから寄付が」、「義援金がいくら集まった」など報道されていましたが、実際に町に住まわれていた方々が再び生活をするにはまだまだ“助け”が必要なのだと痛感しました。
今回のボランティアでは小さな作業しかできませんでしたが、そういった小さな活動の積み重ねによって現地の復興が進んでゆくのではないかと感じられました。
これを機に、今回のみとは限らず今後もボランティア活動を継続・維持していき、被災地の復興支援を続けていきたいと思います。
震災から約8ヶ月経ち、かなり復興して来ているのでは?とも考えていましたが、実際には、震災の爪痕が至る所に残っていました。
ボランティアでは、壊滅した家屋の清掃、及び津波で流されたゴミの撤去を行いました。
ゴミ撤去中、小さい子供の長靴を見つけましたが、言葉にならない感情が湧きました。
そして、微力ながらも、継続して復興作業に携わって行きたいと感じました。
この感想文を読んで頂いた皆さん、実際に現場を自分の目で見て頂きたいです。
少なからず、感じる事があると思います。
そして自分には何が出来るか考えて頂ければ幸いです。
どんなに小さな事でも復興への第一歩となる事は間違いありません。
この度弊社では、平成23年11月3日〜5日にかけて、東北復興支援として、有志一同にて宮城県に向かいました。
また石巻ではボランティアに参加し、私自身も貴重な体験をすることになりました。
多くのマスメディアにて連日震災関連のニュースが流れていますが、実際に自分の目で確かめたい、そして何か力になれればと思ったのが発端でした。
石巻に向かう途中松島に寄りましたが、観光地ということもあり人が多く、順調に以前の状態に戻りつつあるな、と感じました。
松島から石巻へは、震災により電車が不通のためバスでの移動となりました。車窓から見える景色は、松島とは全く違う光景でした。津波の被害を受けたままの建物、基礎を残しただけの宅地、傾いたままの電柱等、言葉を失う光景でした。また当時そこは水田だったと思われる所では、刈り取りが出来ずにいる泥だらけの稲が無惨にも残されていました。
石巻ではボランティアセンターを通じ、別のチームの方と合同(合計二十数名程度)で、被災したアパート内の泥出し、清掃、畑の瓦礫撤去を行いました。
アパート内は天井まで津波の痕跡があり、こんなにも津波という自然の脅威が、凄いものとは思いもしませんでした。
震災から8ヶ月。特に民家に至っては、未だ手つかずのものが多くありました。
現地で見た、積み上げられた壊れた自動車、山のようになった瓦礫、それどころか3月11日の状態から時が止まったように様な場所も数多くあり、問題は未だ山積みである事を感じました。
私達がお手伝いできた事はほんのわずかでしたが、今回体験した事を一人でも多くの人に伝え、風化させる事無く持続的な支援を皆で行って行く事が必要でしょう。
一人の力では何も出来ないではなく、何かしら出来る事がある、寄せ集めれば大きな力になると信じ、東北復興の為に何らかの形で、これからも支援出来ればと思います。
「がんばろう日本」、「がんばろう東北」、「がんばっぺ!石巻!!」
I’d heard on the news many times that unless you see a catastrophe in person, it’s difficult to imagine or explain to someone else. After having seen destruction on this scale first hand, I can tell you, that’s no exaggeration and if anything, and understatement.
As our train eventually tooled past some the hardest hit areas, the water scorched earth seemed to almost fade in. A house here and there, then a few more, only to be followed by entire communities completely flattened. Many of these communities the only visible structures left were their houses foundations.
We eventually made our way to the volunteer center where we were approved as volunteers and given the proper documents and identification to start working. Getting to work after that was relatively fast. We were led to a housing complex, similar to an American duplex style group of buildings that had been completely washed out, but still standing. Many of the kitchen counter tops still had house keys, cell phones, and other things left behind which seemed to underscore the unexpectedness and little time people had to evacuate.
Cleaning some nearby fields, we often came across personal items buried in mud and dirt. Children’s stuffed animals full of sand, a teenagers purse wrapped around a tire, and a bathroom robe ripped under the weight of lose concrete blocks from a nearby storage building. As we picked up these items, you couldn’t help but to think of the people behind the items. Wonder if they were still alive or had lost any of their family.
Soon after getting our hands dirty, it seemed as though the day had finished. They don’t work late in that region as our work was cut short by a setting sun. Gathering together after a short, but meaningful stint of work, things seemed more in focus for all of us in a way. Maybe it was because we had helped, even in a small way, put this catastrophe behind us. Perhaps it was because we felt connected to the afflicted peoples in a more personal way, even if it was just by simply pulling their belongings from the mud. One thing was for certain. We all felt that we had done something that needed to be done as much for our own sanity as it was for theirs.
I hope we will return next year and continue where we left off. I also hope that people understand, you may find more of yourself and the people whom you hold dear through the process of volunteering your time and energy to help others. It was a growing experience for each of us individually, for us as a group of friends, and for us as a company.
As they say in Japanese, “ganbare nihon” do your best Japan and fight until your completely rebuilt!
もちろん私もその内のひとりでした。
東北沖地震後、東京も大勢の方々が帰宅困難となり、なかなか状況が掴めない時間が長く続きましたが、私も翌日に自宅に戻ってテレビのニュース映像を観た時、9.11以来のショックを受けた事を鮮明に覚えています。
今回、FUZEで復興支援ボランティアを企画し、少し行動が遅い感を覚えつつも皆で企画し、宮城県石巻市へ向かいました。
メディアで流されていた映像は映像で非常に衝撃的ではあったのですが、どうしても自分自身、震災のリアリティさが完全に欠落しており、津波がどう言うものなのか、もし津波を受けた場合に、被災地にどれ程の被害を及ぼしてしまうのかと言った、ごく当たり前の事も本当に想像出来ていなかったのです。
そして現地入り。
震災発生後、すでに8ヶ月が過ぎているにも関わらず、海に近い住宅地などは未だに被災した直後の状態で放置されてしまっている状態が続いています。
それは筆舌に尽くす事は出来ず、それまで私の中で欠如していた「リアリティ」の部分が、目の前の光景を目の当たりにする事で埋まり、それと同時に、震災当日に無数の人たちが上げたであろう悲痛な叫びが、本当に直に耳に聞こえて来た様な気がしました。
今回私たちの行った事は、被災規模に比べると本当に本当に小さな事であったと思いますが、もしまたこの様な災害が発生した際には、何をいつ、どうしなければならないかと言う事について、本当に考えさせられた旅となりました。
この様な災害が二度と発生しない事を祈りますが、過去の歴史を振り返る限り、また今回と同規模な、いや、それ以上の災害が発生してしまう時が来るでしょう。
その時にこそ、もし私が生きている間であれば、自分に出来る事を速やかに行動出来る様に心掛けたいと心からそう感じました。
本当に今回の大震災で亡くなられた方々や、被害に遭われた方々に対し、深くお見舞い申し上げると共に、いち早い復興を心よりお祈り申し上げます。
この度、震災に遭われた皆様に心からお見舞い、お悔やみ申し上げます。
3月10日、とても穏やかな日でした。翌日、誰がこの大震災を想像できましたでしょうか?
自分自身も、日本中も、世界中の人たちの人生が衝撃的に変わった一日となったことは言うまでもありません。
私の実家は宮城県石巻市です。
今回のこの大震災により大切な家族を亡くし、実家は半壊倒、親戚、友人も全員被災しました。
地震直後、しばらくして偶然石巻に居る父から電話があり、無事を確認することができました。
しかし、その後はまたすぐに電話回線も麻痺し、安否の確認が取れなく4日ほどテレビやインターネットで父以外の親族や友人たちのあらゆる情報収集に日々明け暮れました。
5日目、不安の中安否の取れた親戚や友人たちからは電気も水道、ガスも当然使用できず、日常生活に困っているのと悲痛な叫びに対し、私は物資を送ることしか出来ず、東京に居ても落ち着かない日々を過ごしていました。
(物資配給もありましたが、オムツの必要なサイズがない、枚数に制限があるなど要求に対応することしかできない。)
震災から一週間が過ぎたころ、津波の被害が大きかった地区で、祖母が遺体で発見されました。
父は祖母を探しに、自転車で(車のガソリンが手に入らない)毎日毎日、胸まで冷たい海水に浸かりながらも、泣きながら祖母を探していたと周りの親戚から後に聞きました。
私の母代わりに育ててくれた祖母が、突然居なくなるなんて想像できませんし、今でも信じられません。
他に被害に遭った親戚、友人から震災後の状況を知らされると、津波が到達後一晩十水の中で過ごし、翌朝助けられた親戚、津波で命拾いしたはずなのに、その後低体温で亡くなってしまった親戚、子供を迎えに車を走らせましたが、途中間に合わず車を乗り捨て学校まで向かった友人、車はもちろんのこと家も流され、皆しばらく学校などの公共施設にて避難所生活を送った様です。
他の友人のお母様はまだ見付かっていない状況です。
寒さの中での災害は本当に苛酷だったと思います。
大自然の前に人はだれもが太刀打ちできないことをまざまざと思い知らされました。
当たり前ですが、憤りの矛先をどこにも向けることも出来なく、ただただそれを受け入れる事しか出来なかった事が本当に苦しかったです。
震災後、私が実家に帰ったのが1か月後でした。
まだまだ電信柱が傾き、電気も水道も通ってない地域も多々あり、そしてコンビニも物資は少なく、ブールーシートをドア代わりにして営業しているところ、瓦礫の山があちこちにあり、道もガタガタ、ぼこぼこ、もちろん信号もないところを車が走るなど当たり前、そして津波の被害だけではなく、火災が起きた場所も多く、遺体が発見されましたという場所の記の紙、旗もまだまだたくさんありました。
今回ボランティアで参加する前にも3度ほど石巻には帰省していますが、その時から比べると復興が本当にものすごいスピードでされているなと感じました。
全国、各国から復興支援がされていく中で、物質的な価値感に囚われず、私は精神的なサポートも大事と感じました。
これまでの便利さを見直し、『絆』という原点に返らされたことを改めて深く感じています。
震災はまだ完全に終わっていません。
たくさんの命を犠牲にした代償はとても大きいことを自覚し、今後どうこの問題について取り組んでいくかが課題であると思います。
(福島の原発問題についても、まだまだ何も解決していないのです。)
今回、ボランティア登録という形で作業をしましたが、今後は会社として、どう東北の皆様と関わりを持って支援できるのかを検討していきたいと思います。
最後に
「私(FUZE)の心はいつも東北のみなさんと共にいます!!」
テレビやインターネットの動画サイトなどで、被災直後から現在に至るまでの様子は目にはしていましたが、メディアを通じて知る事と、実際に肌身で感じて知る事の違いを、今更ながらに改めて知る旅となりました。
今回は、このイベントに参加したメンバーの感想を掲載しておきます。